麦穂7月号巻頭言 ツユクサ 主任司祭 細井保路

2025/7/14

                ツユクサ                         主任司祭 細井保路(ほそいやすみち)  最近つゆ草を見かけたでしょうか。道端や空き地や庭の隅に、夏になると当たり前に咲いていたつゆ草を見なくなりました。雑草が繁るような場所がだんだんなくなってきたからなのだと思います。子どもの頃には、どこにでもある花でした。夏の朝を彩る爽やかな青い花を子どもたちにも是非見せたいと思うのですが、庭の雑草を取ればつゆ草は消え、花を見せたいと思えば、雑草を放置するしかないのです。雑草の名に恥じず生命力の強い植物で、朝開いた花は、昼頃には自家受粉して終わり、しかも、根っこに別に種を作るという繁殖力を持っています。ですから、刈り取っても気づくとまた草むらから顔をのぞかせるのです。見つけると、なるべくつゆ草だけは残しておくようにしています。そしていよいよ繁り始めたら少し刈り取ります。なんとしても子どもたちにつゆ草を認知してほしいからです。  そんな無駄な努力をしながら、色々なことを考えます。私たちは、子どもの頃の懐かしい情景や思い出を、次の世代の人たちと共有したいと願います。それは、大げさに言えば文化の伝承のようなことです。しかしそれは、私が感じている懐かしさを押しつけているだけかも知れません。田んぼが広がる土地で育った私は、春のレンゲ、初夏に飛び交うツバメとカエルの鳴き声、生え揃った緑の稲が風にうねる景色、そういうものに心を動かされながら育ってきました。だから、子どもたちにもそれを体験させたいと思ってしまうのです。それは、大切だけれどもちっぽけな私の体験でしかないのですが。  子どもの頃、昆虫図鑑を見ては、クマゼミを捕りたいと夢見ていました。ミンミンゼミより大きく強そうな蝉です。しかし私が子どものころクマゼミは西の方にしか分布していなかったので鳴き声さえも聞くことはできませんでした。それがいつの間にかどんどん東に進出して来て、今では横浜でも7月の末には、ミンミンゼミを駆逐するような勢いで「シャーシャーシャー」と鳴いています。私ひとりの中でも、文化の伝承はおかしなことになっているのです。  文化も、ルーツも、世代も違う人たちが集まって社会は出来上がっています。教会もその縮図です。信仰を伝えあうときに、個人の体験、個人のこだわり、個人の感情にとらわれ過ぎないようにしなければなりません。  とは言え、つゆ草はいつまでも誰もが知っている花でいてほしいので、教会の庭の隅に温存する作業に勤しんでいます。

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