7/26 年間第17主日ミサ 説教

2020/7/23

     天の国を理解する賜物を受けた者-年間第17主日A年                              ヨハネ・ボスコ 林 大樹   マタイによる福音13章44-52節  天の国の譬え(44-50節)  「天の国は次のように譬えられる」(44・45・47節)の直訳は「天の国に似ている」です。「畑に隠された宝」(44節)、「高価な真珠」(45-46節)、「選り分けられる魚」(47-50節)の三つの譬えはいずれも、「天の国は似ている」と同じ表現で始められています。  直訳を見ると、天の国は「宝」・「ある商人」・「網」に似ていると述べられています。しかし、その内容から見ると、44節では天の国は確かに「宝」に譬えられていますが、45-46節では「ある商人」ではなく、むしろ真珠に譬えられています。47節以下の譬えも、49-50節によれば、天の国は「網」ではなく「選り分ける」ことに譬えられています。つまり、この「似ている」という語の意味は、三つの譬えでは「関係がある」ということです。  「畑に隠された宝」の譬え(44節)  天の国は、畑に隠された宝と関係があります。 イエスの時代、人々は財宝を壺(つぼ)に入れ、土の中に隠しました。これは強盗や兵隊からの略奪から守るための最も安全な方法でした。そして、持ち主が死亡したり奴隷になったりして他国に売りとばされると、土の中の宝はのちに偶然発見されるまで隠れたままでした。譬えでは、ある小作の農夫(彼は地主ではありません)が宝をたまたま掘り当てます。それは彼の労働の成果ではなく、神の賜物です。  この譬話で、イエスは、私たちの生そのものに、畑の収穫物(人間の業績)とはまったく別に、すばらしい宝が隠されていることを教えています。そして畑を入手するため、これまで彼の生活を支えていた一切のものを手放します。それは生の転換と言っても良いと思われます。  「高価な真珠」の譬え(45-46節)  天の国は、良い真珠を求めている商人と関係があります。  「畑に隠された宝」と「高価な真珠」は、対(つい)をなした譬えであり、神が行動しておられることに対する人間の反応に強調点を置いています。すなわち、「畑に隠された宝」のように、神の行動は隠されているので見つけ出さなければならない。また「高価な真珠」のように、見つけ出すまで探し続けなければならないというのです。しかし、強調されているのは、偶然であれ、長期にわたる勤続努力であれ、見つけたそのものではなくて、「持ち物をすっかり売り払う」という反応です。  対をなしている二つの譬えの中心思想は、「天の国」とは何か神が行動しておられること、すなわち、神の行動は隠されていますので、私たちはそれを賜物として受け取るべきものだということです。天の国とは、人間が何か獲得することができるようなものと見なしていけません。従って、天の国を見つけ出したという恵みの賜物に対する人間の反応は、全体にわたるもの(=生の根拠の転換)でなければならないということを教えています。  「選り分けられる魚」の譬え(47-50節)  天の国は、海へ投げられ、あらゆる魚を寄せ集める網と関係があります。  この譬えは、「毒麦」の譬え(13章24-30節)と対(つい)をなしていますが、相違点もあります。「毒麦」の譬えでは、毒麦を神が忍耐している現在に視点が置かれています。「選り分けられる魚」の譬えは、49-50節にあるように、「世の終わり」に起こる選り分けに強調点が移っています。「畑に隠された宝」と「高価な真珠」の譬えとの関連でこの譬えを読むならば、ここでの「悪」とは倫理的な悪ではなく、持ち物をすっかり売り払ってでもそれを買いたいと人が願う天の国に気づかないことだと考えられます。  「倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人」の譬え(51-52節)  「天の国のことを学んだ学者」とは、イエスの弟子たちが律法を解釈し教える律法学者に類似した任務を持つ者とされ、イエスは新しいモーセ(律法の告知者)と考えています。マタイ23章34節にも、預言者や知者と共に「学者」が言及されています。マタイの教会には、伝承されたイエスの言葉や旧約聖書を専門的に解説する学者が実際にいたのです。  「一家の主人」はイエス自身です。イエスの言葉や旧約聖書を解説する学者は、「天の国のことを学んだ学者」であり、「一家の主人」であるイエスに似ていています。  一家の主人は彼の「宝」から新しいものと古いものを取り出します。この「宝」は44節の「宝」と同じですが、普通は「倉」(52節)と訳されています。「宝」(=倉)が天の国を指すなら、一家の主人は新しいものと古いものを天の国の現実から取り出すことになります。  今日の福音のまとめ  51節で、「あなたがたは、これらのこと(天の国の譬え)がみな分かったか」と、イエスに尋ねられた弟子たちは「分かりました」と答えます。  イエスは古いもの(旧約聖書)から新しいもの(旧約聖書に対するイエスの解釈と天の国の教え)を引き出しました。天の国は隠されています。隠された天の国を理解する賜物を受けた(13章11節)者は、「一家の主人」(52節)であるイエスのように、私たちの置かれている状況の中で、どうイエスの教えと言葉(古いもの)を受けとめ、どうそれを生きて行くかについてのメッセージ(新しいもの)を取り出すことになります。                   2020年7月26日(日) 金沢教会 主日ミサ 説教 年間第17主日 2020年7月26日 天の国を理解する賜物を受けた者 マタイによる福音13章44-52節

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