3/7 四旬節第3主日ミサ 説教

2021/3/5

           宮清め―四旬節第3主日B年                               ヨハネ・ボスコ 林 大樹   ヨハネによる福音2章13-25節  メシアの待望(13節)  この節と最後の段落(23-25節)は、「過越祭」と「エルサレム」で対応しています。どちらもユダヤ人を統合する象徴であり、メシア待望と結びついています。  過越祭はエジプトにおける奴隷からの解放を記念する祭りですが、同時に、将来メシアがもたらす救いを待望する祭りでもありました。またエルサレムは、終末においてすべての民が巡礼に訪れる聖なる都と考えられており、救済の希望を象徴する町でした。13節では「過越」と「エルサレム」という言葉によって、民を救うメシアへの希望が暗示されています。  神殿での出来事(14-17節)  17節の「書いてある」の原語は、22節の「聖書」と同じ語源です。「思い出した」も次の段落(18-22節)に登場します。  イエスは神殿に入ると、「私の父の家を商売の家としてはならない」と言って、牛や羊や鳩を追い出し、商売人を追放します(14-16節)。この行動の背景には、神の救いが完成する「その日」の到来を告げるゼカリヤ書14章21節「その日には、万軍の主の神殿には商人はいなくなる」があります。救いが完成する「その日」には「馬の鈴」も「なべ」も聖化されます。「馬」は軍事力の象徴、「なべ」は日常生活の象徴です。人間生活のあらゆる方面が清められ、「その日」には神殿から商人がいなくなります。ゼカリヤ書14章21節と結び合わせるなら、イエスの行動は、神殿の世俗化をめぐる認識の相違から引き起こされたというだけではなく、救いの完成を新たに告げる新たな時代の幕開けを宣言するためでもあったのです。  イエスが追い出した動物は共観福音書では「鳩」だけですが、ヨハネはさらに「羊」と「牛」を加えています(14節)。神殿が商売の家でなくなるためには、いけにえとしてささげる羊や牛をもはや必要とはしない状態が来なければなりません。イエスが自らいけにえの羊として死ぬことによって、いけにえの動物を不要にしたことを、ヨハネはここで強調しています。また、17節の「私を食い尽くす」という言葉は、イエスが十字架上に死ぬことを意味しています。  ユダヤ人たちとの論争(18-22節)  19・20節の「建て直す」の原語は「起こす(エゲイロー)」です。この言葉はイエスの復活を表す言葉でもあり、ここでは両方が意味されています。  イエスのこの行動に腹を立てたユダヤ人たちは、いったい何の権威があって乱暴を働くのか、権威の「しるし」を見せよと迫ります。イエスが示すしるしは、神殿を三日で「建て直す」です。この「神殿」とは21節の説明のようにキリストの体を指します。イエスが示した「しるし」は彼の受難と復活でしたが、20節が示すように、ユダヤ人たちはそれを理解できません。イエスはこの誤解を背負ったまま、ひたすら「しるし」を成就するために十字架に向かいます。  しるしを求める信仰(23-25節)  この段落では23節「信じた」と24節「信用されなかった」の対比がテーマとなっています。24節の「信用されなかった」は「信じてゆだねなかった」の意味です。  23節でも13節同様、「エルサレム」と「過越祭」という言葉が、救済への希望を暗示しています。イエスの行った「しるし」(=奇跡)を見て「信じた(ピステウオー)」人々を、イエスは「信用され(ピステウオー)ません」。しるしを見て信じる信仰は奇跡を求める信仰であり、イエスが求める「ゆだねる信仰」に至るとは限らないからです。  今日の福音のまとめ  四旬節第1主日の第一朗読(創世記9章8-15節)で、神はノアと彼の息子たちに言います。「私は、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。┅┅地のすべての獣と契約を立てる。┅┅私は、私とあなたたち並びにすべての生き物との間に立てた契約を心に留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない」。  四旬節第2主日の第一朗読(創世記22章1-2節、9節a、10-13節、15-18節)で、主の御使いはアブラハムに言います。「私は自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう」。このように、ノアとの契約もアブラハムとの契約も神が一方的に立てたもので、人間の側には守る義務はありません。  しかし、今日の第一朗読(出エジプト記20章1-17節)では、十戒の冒頭に「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」と神の救いの業を述べてから、一つひとつの掟を言及します。人間が神の恵みと救いを感じたからこそ、救いを受けた者として神の指示に留まります。契約のあり方が新しくなっています。  今日の福音のテーマはエルサレム神殿の「宮清め」であり、ここではイエスの受難と復活がしるしとして暗示されています。神殿の境内で、イエスは、神殿への訪問者がいけにえをささげるのに必要な動物を購入したり、外国貨幣をユダヤのシェケル硬貨に両替したりする市場を目にします。動物と硬貨は、神殿礼拝には絶対に必要なものであり、商人を追放することで、イエスは新たな時代を告げます。イエスは新たな神殿を建てます。この神殿では牛も羊も鳩ももはやいりません。イエス自身がそれに代わる犠牲になったからです。                    2021年3月7日(日) 金沢教会 主日ミサ 説教四旬節第3主日 2021年3月7日 宮清め ヨハネによる福音2章13-25節

お知らせ一覧へ戻る