麦穂3月号巻頭言 主よあわれみたまえ 主任司祭 細井保路

2022/3/10

            主よあわれみたまえ                              細井保路(ほそいやすみち)  四旬節が始まりました。最初の日曜日に朗読された福音書は、イエスさまが40日間祈りと断食のうちに過ごされたことを伝えています。神さまに生かされているという謙虚な気持ちを失った人間社会は、お互いを深く傷つけ合うことを繰り返します。その悪の連鎖を断ち切り、この罪深い世を清めるために生き抜くという覚悟をイエスさまはなさったのです。神さまのあわれみから心が離れた時、人の欲望が暴走するありさまを、イエスさまは深い悲しみのうちに思いめぐらしたのです。そして、それでも人を愛しゆるすという神さまのメッセージを示し続ける決意を固められたのです。その心の内を、人を神から引き離そうと誘惑する悪魔との対話として語られるのです。  その3つの誘惑の言葉は、わたしたちの心が神さまから離れたとき湧き上がってくる欲望をみごとに表現しています。  「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」という誘いは、神さまは何でもお出来になるという考えに基づいています。でもそれは、人間が勝手にあるべき姿をねじ曲げてでも欲しいものを手に入れることが許される理由にはなりません。神さまが与えてくださるものを感謝して受け取る姿勢から離れたとたんに、ゆがんだ所有欲が頭をもたげてくるのです。  次なる悪魔の誘いは、「この国々の一切の権力と繁栄を与えよう。もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」というものです。神に反するものにひれ伏したとたんに、権力欲が暴走し始めます。  「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。」という誘いも、前提になるのは、神さまがわたしたちを守ってくださるという考えです。神さまが守ってくださるなら何をしてもいいなどという理屈は通らないはずなのに、現実には、勝手に振舞っていいという勘違いがいつも他者を傷つけます。  イエスさまがその連鎖を断ち切られた悪の力は、私たちが神さまの愛のメッセージから離れるとすぐにまた姿を現します。今ウクライナで起こっていることもその一つの姿です。聖書のこの個所には書かれていない4つ目の誘惑があります。恐ろしい状況を前に、祈ることを忘れてただ不安に怯えたり、批判ばかりをすることです。イエスさまと共に人間の深い悲しみをしっかりと見つめ、私たちをあわれんでくださいという深い嘆きの祈りを持ち続けましょう。

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