麦穂6月号巻頭言 聖霊の助けを願いましょう 主任司祭 細井保路

2022/6/6

        聖霊の助けを願いましょう                             細井保路(ほそいやすみち)    今年は6月5日が、聖霊降臨のお祝い日でした。その日のミサの第一朗読で読まれた使徒言行録2章にこう書かれています。「そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」  弟子たちの上に降った力は、神さまという一つの源から注がれたのであり、弟子たちが様々な言葉で語るという、彼らの覚悟や能力を超えた出来事が起こったのです。このことから、二つのことに気づきます。聖霊は神さまが私たちの内で自由に働かれることを示しているということ。そして、その聖霊の働きは私たちのちっぽけな経験に基づく狭い判断の枠組みから大きくはみ出してしまうようなものだということです。  イエスさまは、一人の人間でありながら、神さまのメッセージをあますところなく伝える方でもありました。私たちと同じ人間でありながら、神さまの栄光をあらわす存在でもありました。なぜそんなことがあり得たのでしょうか。それは、イエスさまが、被造物を代表して聖霊の働きを受け入れられたからなのです。神さまのみ旨は、神さまから生み出されたすべてのものが愛され救われることです。しかし、限りあるいのちというものにとらわれている私たちは、神さまの世界との接点が想像しにくいのです。心の狭い私たちには、どこまでも広がる神さまの愛をなかなか理解できないのです。  でも、イエスさまこそが、創られたものは確かに神さまのいのちの内にあるということを示してくださったのです。そこで、私たちが、想像を超える神さまとなんとか接点を持とうとするならば、イエスさまが指し示してくださった、いのちの与え主である「父である神」と、私たち被造物の側に共にいてくださる「子である神」と、私たちの心の狭さや、理解力のなさをやすやすと超えて自由に働いてくださる「聖霊である神」という三つの側面が見えてくるのです。  聖霊の働きは、私たちが決めてしまう限界からいつもはみ出すということを忘れないようにしましょう。愛の足りないところにも、神さまの愛の力は及ぶのです。勇気の足りないところにも、神さまの計らいは実現するのです。力不足を感じるときにこそ、聖霊の助けを願いましょう。

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