麦穂2月号巻頭言 見えないことを見てくださる神 主任司祭 細井保路

2023/2/9

          見えないことを見てくださる神                              細井保路(ほそいやすみち)  1980年に現在の聖堂が建てられて以来、43年間、高圧の電源で、教会と幼稚園の両方の電気をまかなって来ました。この1月にやっと、教会と幼稚園の電気を分ける工事が完了しました。今までの変電の大きなトランスは聖堂の裏にありましたので、撤去するためには、クレーン車もやって来て、大掛かりなものとなりました。あとは、庭の隅に電柱が一本増えたのと、裏庭に向かってのびていた高圧線の配管が撤去されただけで、実際の電気の使用に関しては何も変化がありません。ですから、言われなければ、何が変わったのかわかりません。私たちは、電気に頼りっぱなしの生活をしているのに、その電気はまるで見えていないということにあらためて気づかされます。  見えるものを頼りに、私たちはものごとの判断をしていきますが、実は、見えているものは、この世界の様々な働きのほんの一部でしかないのです。教会の庭の梅が咲き始めて春が来たことを実感していますが、花が咲き始めるまでの営みには全く気付いていません。  私たちをとりまくことがらの背後には、人の配慮や、心配や、祈りがどれだけあるかということも、時々考える必要があると思います。身近な人の心遣いだけでなく、ずっと昔の人の願いも、今の私たちを支えてくれているのです。  有名なマタイ福音書の6章の言葉を思い出しましょう。  「祈るときには、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」  「断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。これは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」  見えない神さまは、見えないことを見てくださる方だと言っているのです。目に見える結果や、表面的なことがらによってしか評価されないと考えてしまうと、見えない大切なものからどんどん遠ざかってしまいます。見えないことを見ていただくためには、私たちの心をやさしや祈りで満たしていかなければなりません。

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