麦穂5月号巻頭言 芽を出したヒマワリ 主任司祭 細井保路

2023/5/9

           芽を出したヒマワリ                              細井保路(ほそいやすみち)  4月23日に教会学校の子どもたちに蒔いてもらったヒマワリの種が芽を出し、連休中にすくすくと育ち始めました。去年の秋に咲いたコスモスのこぼれ種も一斉に芽を出し、早くも花を咲かせ始めました。庭の様子を見ていると、毎日が驚きの連続です。  イエスさまも同じように、草花を見ては、神さまのなさる不思議に感動し、人間もその自然の一部であることをしみじみ感じておられたのだと思います。だから、私たちのよく知っているいくつもの言葉が生まれているのです。 「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」(マタイ6・28) 「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」(マタイ13・31) 「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。」(マルコ4・26)  イエスさまは「天の国」とか「神の国」という話をされるのですが、それは、私たちが最終的に辿り着いて手に入れるいのちがあるということを意味しています。そして、咲いた花の繊細な美しさや、大きく成長する植物の不思議や、実りの豊かさについて語るのは、私たちの人生のゴールが、今以上に豊かなものだとうことに気づかせるためなのです。そして人生を植物にたとえるもう一つの理由は、私たちのいのちが、私たちの努力で手に入れるものではなく、すでに与えられているものだということを認めさせるためなのです。  私たちは目的のものを手に入れるためには努力が必要だと思っているし、仕事に見合った報酬が欲しいと思ってしまいます。でもその考え方では、向こうからやってくる無条件の恵みに上手に出会うことはできません。いのちは努力や犠牲で獲得するものではなくて、無条件の恵みなのです。

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