麦穂10月号巻頭言 堅信式に向けて 主任司祭 細井保路

2023/10/3

            堅信式に向けて                              細井保路(ほそいやすみち)    来る10月29日は堅信式です。中高生を中心に、12名の方が梅村司教様から堅信の秘跡を受けます。  「秘跡」とは、目に見えない神さまの働きの見える「しるし」です。イエスさまを通して示された神さまのゆるしと揺るぎない愛があるからこそ、秘跡に意味があるのです。  ご聖体をいただかないと恵みが届かないのではなくて、日々神さまの恵みのうちに生かされていると自覚しているからこそ、共にパンをいただくときに、あらためてその恵みを感謝することができるのです。まず無条件のゆるしがあるからこそ、それを受け取り感謝する洗礼が意味を持つのです。  本当にゆるされているのなら、私たちはもっと明るい気持ちで生きていけるはずですが、必ずしもそうならないのはなぜでしょう。  「求めなさい。そうすれば、与えられる。」というマタイ7章の有名な言葉は、「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」という言葉で結ばれています。  何か心に重たいものを抱えて、立ち往生してしまったときに、「人からしてもらいたいと思うことを、人にしてごらん」とイエスさまはおっしゃるのです。まず、「私は本当は、どうしてほしかったのだろう」と考えてみろと言うのです。自分のことがわからなければ、「わが子は、私に、どうしてほしいのだろう」と考えてみてもいいのです。  子どもが求めているのは、親の優しさだということに気がつきます。私が求めているのも、周囲の人の優しさだと気がつきます。苦しいのは、選択を迫られたり、責任を追及されたりするからなのであって、私たちは皆、本当の優しさをいつも求めているのです。私から人を責めることをやめてみましょう。私から優しさを発信してみましょう。すると、閉ざされていた扉が開かれていくような気持ちが生まれてきます。洗礼やゆるしの秘跡は、こういう気持の延長上にあるのです。  自分の人生を神さまからの恵みとして受け取れるならば、その私の人生を使って神さまが何か素晴らしいことを行ってくださることも認めることができます。堅信の秘跡は、まさに、聖霊である神さまが、私たちの内で自由に働いてくださるのを受け入れることです。そして、教会は、その同じ神さまの働きを大切に思う人たちの集まりなのです。

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