麦穂5月号巻頭言 オレルヤ 主任司祭 細井保路
2025/5/12
オルレヤ 主任司祭 細井保路(ほそいやすみち) マリア様の花というと、ユリかバラがまず思い浮かびます。しかし、ユリの花は実際に咲くのはもう少し後ですし、バラの花は、幼稚園の子どもたちが踏み荒らす、ほったらかしの庭では、ちゃんと育てる自信も時間もありません。それで聖母月なのですが、教会の庭には、百合も薔薇もありません。その代わりというわけではないのですが、5月になると、オルレヤという花が咲きます。白いレースのような花で、清楚な感じは、聖母月にふさわしい花だと思いますc多年草のはずなのですが、夏の暑さに弱いので、毎年苗を買って植えていました。ところが、今年は、庭の手入れを怠ったのがかえって功を奏したのか、こばれダネからたくさんの花が咲き始めました。 春先から咲いている赤や青の花の周りを白いレースで縁取るようにして、花が開いていきます。その白い色がアクセントになって、既に咲いている花がかえって際立つようになります。オルレヤは、ここぞとばかりにただ咲いているだけなのですが、結果的に他の花の美しさも引き出しているのです。 花ですから、姑息な計算などないのはもちろんですが、相手の存在を高める役割を果たしているところが素晴らしいと思うのです。私たち人間は、役割とか使命とかを意識し過ぎて、相手の存在を高めるためには、自分が一歩引かなければいけない、ゆるさなければいけないなどと、「ねばならない」という意識にとらわれ、生きることが楽しくなくなってしまいがちです。そんなときはこのオルレアを見習うべきだと思います。 オルレアは、白く輝いてまっすぐに天に向かって花を咲かせます。雷のときには頼りなく首を垂れているので、花が開いたときの凛とした姿は余計に清々しく楽しげに感じます。お互いの存在を高め合い、お互いを生かし合うためになによりも大切なのは、この楽しさであるはずです。「どうあるべきか」と考えてしかめ面をした途端に、私たちは、自分を責めるか、相手を責めるかし始めるのです。「ねばならない」にとらわれて、楽しい気持ちをどこかに置き忘れてはいないでしょうか。 私たちの存在を高め、救い上げてくださるのは、神さまです。イエスさまは身をもってそれを示してくださったのです。そのことに気づかされた私たちは、もっと喜んで、もっと楽しく生きることができるはずです。オルレヤの花のように、目を天に向けてみましょう。