5/3復活節第4主日ミサ 「世界召命祈願の日」教皇メッセージ

2020/4/29

 2020年「第57回世界召命祈願の日」教皇メッセージ―復活節第4主日A年  新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、緊急事態宣言、外出自粛要請が出され、4月13日(月)~5月6日(木)まで、公開ミサを中止しています。主任司祭は、この期間、非公開ミサをささげますので、信徒の皆様は家で司祭と心を合わせてお祈りください。  5月3日(日)は世界召命祈願の日です。今年も教皇メッセージが出されていますので、下記のように私なりにまとめました。            ヨハネ・ボスコ 林 大樹 2020年「第57回世界召命祈願の日」教皇メッセージ               召命についての語  教皇は、メッセージの中で、召命について鍵となる語として、感謝、強い心、痛み(疲れ)、賛美、の四つをあげています。ガリラヤ湖で嵐の夜にイエスとペトロが体験した出来事を伝える福音箇所(マタイ14章22-33節)を背景に、この四つの語を取り上げます。  マタイによる福音14章22-33節  22節 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。23節 群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。24節 ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。25節 夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。26節 弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。27節 イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。私だ。恐れることはない」。28節 すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、私に命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」。29節 イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。30節 しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。31節 イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。32節 そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。33節 舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。 1 感謝  正しい航路を進むのは、人間の努力次第だけで決まるものではありません。主こそが、これから向かう行き先を示し、私たちに呼びかけながら、私たちの舵取りとなって、座礁しないように導いています。どの召命も、この主の呼びかけに対する応答にほかなりません。  主は、舟が嵐に襲われるときにこそ来てくださいます(25節)。ですから、「感謝」に向けて心を開き、人生という航路を主が共に進んでおられることが分かったなら、私たちはその呼びかけに気づき、受け入れることができるでしょう。 2 強い心  湖上を歩いて近づいて来られるイエスを見て、弟子たちは最初、幽霊だと思い、おびえます(26節)。しかし、イエスは一つのことばをもって彼らを元気づけます。「安心しなさい。私だ。恐れることはない」(27節)。「強い心」が第二の語です。  私たちは心をかき乱す幽霊によって、前へ進むこと、成長すること、主が用意してくださった道を選ぶことを妨げられます。安全な岸を離れ、ある生き方―結婚、奉献生活、叙階された聖職など―を受け入れるよう招かれたとき、最初の反応が「疑念という幽霊」によるものであるのはよくあることです。「これが私の召命であるはずはない。本当にこれが正しい道なのか。主は本当にこれを私に求めておられるのだろうか」と。  召命に応えるには「強い心」が必要です。主は、私たちの心の舟を揺るがす問題―疑いや困難―を知っています。だからこそ、「恐れるな。私はあなたと共にいる」と言って、元気づけられます。たとえ湖が荒れていても、私たちに会いに来られ、寄り添ってくださる主を信頼することにより、私たちは無気力な状態、「感傷的悲嘆」と呼んだ状態、私たちを動けなくし、召命のすばらしさを味わえなくする意気消沈の状態から解放されるのです。 3 痛み(疲れ)  (教皇は「痛み」という語を、ここでは異なる角度で捉え、「疲れ」について話します)。  どの召命にも、努力は欠かせません。しかし、私たちは「水の上を歩く」ペトロと同じように、願いと情熱をもっていますが、その一方で弱さと恐れを抱えています(28-30節)。  結婚生活や司祭職において自分に課せられた責任や、これから起きうる不幸への不安に押しつぶされると、私たちはすぐにイエスから目をそらして、ペトロのように沈んでしまうでしょう(30節)。その反対に、弱く欠けているものがあっても信仰があれば、復活した主に向かって歩み、嵐にも打ち勝つことができます(28-29節)。私たちが疲れと恐れのために沈みそうになるときには、主は手を差し伸べ(31節)、喜びと熱意をもって召命を生きるのに必要な意欲を与えてくださるのです。 4 賛美  最後にイエスが舟に乗ると、嵐はやみ、波は静まります(32節)。それは、私たちの日常生活の中で、とりわけ嵐のようなときに、主が働いていることを表しています。私たちは生きるようにと呼ばれた召命の具体的な生活の中で、逆風によって疲れ果ててしまうかも知れません。「安心しなさい。恐れることはない」。イエスこそが私たちの唯一の主であることに気づくなら、イエスは手を伸ばし、私たちを捕まえて、救ってくださいます(31節)。  そうすれば、私たちは嵐のただ中にあっても、心は賛美へと開かれます。マリアは、自分に注がれた神のまなざしに感謝し、恐れと戸惑いを信仰のうちにささげ、強い心で召し出しを受け入れました。マリアは自身の人生を、主をたたえる賛歌としたのです。                   2020年5月3日(日) 金沢教会 主日ミサ 説教   ‘20.5.3非公開ミサ_世界召命祈願の日_教皇メッセージ(復活節第4主日)

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