6/21 年間第12主日ミサ 説教

2020/6/18

         恐れずに言い広めなさい-年間第12主日A年                              ヨハネ・ボスコ 林 大樹   マタイによる福音10章26-33節  恐れてはならない(26節)  「恐れてはならない」は、未来に起こるかも知れない恐れを禁止する言い方です。「人々を恐れてはならない」と禁止していますが、この「人々」は10章17節で「人々に警戒しなさい」と言われる「人々」であり、弟子たちを地方法院に引き渡し、会堂で鞭(むち)打つ迫害者です。弟子は迫害者を警戒すべきですが、恐れてはなりません。  言い広めなさい(27節)  並行箇所のルカ12章2-3節と比較すると、  「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知らずに済むものはない。だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間にささやいたことは、屋根で言い広められる」(ルカ12章2-3節)。  「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。私が暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされてことを、屋根の上で言い広めなさい」(マタイ10章26-27節)。  ルカは最終的に公にならないものは何もないということを、臆病な宣教師たちに確証しています。ルカはこの発言を、人間の振る舞いを言及するものと解釈して、「だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれる」と記しています。しかし、マタイはこれを、イエスのメシアの秘密に言及するものと理解し、それゆえ、ルカの直接法の発言を「私が暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい」と、命令法に変えています。すなわちイエスが地上で宣教されている間は秘密にしておかなければならなかったことを、復活以後には「屋根の上で言い広めなさい」というのです。  また、マタイとルカの第一に異なる点は、マタイでは暗闇で言う者は「私」ですが、ルカでは「あなたがた」です。第二に、マタイは「言いなさい」「言い広めなさい」と弟子たちに命じていますが、ルカは「あなたがたが言った」「言い広められる」と直接法で述べられています。ですからルカは、弟子が告げている使信は、今は力がないものでも、終わりの日にはその正しさが明らかにされる、という意味になります。ルカの視点は未来に置かれています。しかし、マタイの視点は現在にあります。「言いなさい」「言い広めなさい」は行為の開始を強調する命令形です。マタイは、迫害者となる「人々」を恐れることなく、イエスの語ったことを「言い広める」という活動を開始するように求めています。  恐れるな(28-31節)  26節aは「恐れてはならない」とあり、未来に起こる恐れを禁じ、28節aは「恐れるな」とあって、現在弟子が抱いている恐れを禁じています。同じ表現が31節aにもあり、この段落は「恐れるな」によって囲い込まれています。その間に「恐れなさい」(28節b)という命令が置かれ、弟子が恐れるべきものが書かれています。それは「魂も体も滅ぼすことのできる方(=神)」です。        並行箇所のルカ12章4-5節と比較すると、   「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。だれを恐れるべきか、教えよう。それは殺した後で、地獄に投げ込む方だ」(ルカ12章4-5節)。  「体を殺しても魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイ10章28節)。  迫害者は「体を殺しても魂を殺すことのできない者」というマタイの句は、ルカでは「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者」と言い換えられ、神については、マタイでは「魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方」と言われているのに、ルカでは「滅ぼす」という言葉がなく、ただ「殺した後で、地獄に投げ込む方」と言うだけです。このようにマタイでは、迫害がひどくなるにつれて、迫害者の無力さと神に対する信頼が強調されています。  天の父の前で(32-33節)  弟子は、隠されていること(26節b)が明らかにされる終わりの日の到来を信じ、死を越えて命を支配するのは神だけであることを信じるなら、「人々の前で」イエスを認める者となります。ですから、イエスを否定する者があるとすれば、それは神の支配を信じられないからなのです。  今日の福音のまとめ  「私が暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言い広めなさい」(27節a)。この言葉を「あなたがたは┅┅あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」と命じる復活のイエスの言葉(28章20節)と照合するとき、ここに弟子による宣教が復活以後の活動であるというマタイの理解を読み取ることができます。イエス在世当時は弟子たちの「宣教の実地見習期間」であり、イエスの死と復活の完成を待って初めて開始されます。マタイは、宣教によって、人々の前でイエスを証しし(32節)、その弟子となることを大切にしています(10章24-25節)。そして、イスラエル宣教の開始は激しい迫害(ユダヤ教、国家権力、家族からの圧迫 10章17-18節、21節、34-36節)を引き起こします。  イエスは「人々を恐れてはならない」と命じます(26節)。この「人々」は、今は覆われて隠されている(26節b)ためにイエスを受け入れない人々です。とすれば、「恐れずに言い広めなさい」(27節)というイエスの要求は私たちにも向けられていることになります。                   2020年6月21日(日) 金沢教会 主日ミサ 説教 年間第12主日 2020年6月21日 恐れずに言い広めなさい マタイによる福音10章26-33節

お知らせ一覧へ戻る