聖週間の福音 ミサ説教 4月9日~12日
2020/4/10
聖週間の福音 新型コロナウイルスへの対応のため、首相による緊急事態宣言がなされ、神奈川県知事による外出自粛要請が出されました。よって、聖週間は公開ミサを中止しています。 主任司祭は、聖木曜日・主の晩さんの夕べのミサ、聖金曜日・主の受難、復活の主日・復活徹夜祭は午後6時から、復活の主日(日中のミサ)は午前9時から、非公開のミサをささげますので、信徒の皆様は家で心を合わせてお祈りください。 尚、説教を書きましたので、黙想に役立ててくだされば、と思っています。 また、4月13日(月)~5月6日(木)まで、公開ミサを中止します。 主任司祭 ヨハネ・ボスコ 林 大樹 4月9日 聖木曜日 主の晩さんのミサ(ヨハネ13章1-15節) 主の晩さんのミサには、ヨハネ福音書による最後の晩さんの冒頭の部分が朗読されます。その箇所は、「この世から父のもとへ移る」(1節)ことを述べる、いわゆる「栄光の書」(13-17章)の導入になっています。「栄光の時」は具体的に、受難・死・復活による「あがないの業」を指しますから、いよいよこの出来事が目前に迫ってきています。 「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(1節)。 この句の中で「愛する」という動詞が二度、「この上なく」(エイス・テロス=「終わりまで」と訳すことも可能)という言葉が一度使われています。「この上なく(終わりまで)」という表現は、イエスが十字架上で息を引き取られる直前に口にされた(19章28節、30節) 「成し遂げられた」(テレイオー)という語と、語幹が同じですので、イエスの十字架上の死が、「この上なく(終わりまで)愛し抜かれた」の実現であったことを、こういう言語上の関連も示していることになります。また、最後の晩さんの席上では、この同じ愛が、「弟子たちの足を洗う」という奉仕の業となって具体的に示されました(5節)。サンダルでほこりっぽい道を旅してきた他者の汚れた足を洗うという行為は、ユダヤ人の奴隷でさえ要求されない卑しい仕事でしたが、師であり、主である方が、弟子であり、従者である者たちに、こういう形で奉仕したのでした。そのねらいは、イエスの言葉にあるとおり、弟子たちが師の模範に倣って(ならって)、互いに奉仕し合うことにありました(15節)。 イエスのこの実演を伴う教えは、「愛の掟」の授与につながっていきます。 「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(34節)。 この掟の「新しさ」は何にあるのでしょうか。それはまさに、「私があなたがたを愛したように」という点にあります。 ペトロが、「私の足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは「もし私があなたを洗わないなら、あなたは私と何の関わりのないことになる」と答えます(8節)。 ① 私があなたがたを愛したように、② あなたがたも互いに愛し合いなさい、という順番は大切です。キリスト者とは、まずイエスが「自分の足を洗ってくださった」、すなわち「自分は神を知っている、自分は神を愛している」ということよりも、先にイエスが「この上なく(終わりまで)自分を愛してくださった」ということを知っている者なのです。 4月10日 聖金曜日 主の受難(ヨハネ18章1節-19章42節) 私たちは受難の主日(枝の主日)と聖金曜日に「受難物語」を朗読します。受難の主日にはA年マタイ、B年マルコ、C年ルカ、そして聖金曜日はヨハネ、毎年二つの福音書の「受難物語」が私たちに提供されています。 ヨハネ福音書の「受難物語」の伝えるイエスのイメージは「王であるキリスト」です。聖書の神の名「ヤーウェ」の日本語直訳は「わたしはある」です。ローマ兵とユダヤ人がイエスを捕らえたとき、「わたしはある」(18章6節)と語られると、彼らは後ずさりして地に倒れます。園では「試練と死のときから救ってください」とは祈りません。キレネ人のシモンも登場せず、イエス自ら十字架を背負います。「ユダヤ人の王」という言葉はヘブライ語の他、当時ローマ帝国の主要な言語であるラテン語、ギリシア語で書かれ、ピラトが認めます。イエスは十字架の下でも孤独ではなく、愛する弟子とイエスの母が立っています。埋葬も王としてふさわしく百リトラばかりの香料に包まれています。 ヨハネ福音書の「受難物語」の背景として、迫害、特にローマ帝国からの取調べや罰、或いは死にさらされていた現実がありました。ローマ帝国の絶大なこの世の権力、権威に迫害されていました。「わたしの国は、この世に属していない」(18章36節)。「受難物語」を通して、この世の力、そこから出る悪や苦しみは、神のみ前では何の力もないことを、ヨハネは伝えているのです。 「世俗主義との対決」(講演集 第二バチカン公会議と私たちの歩む道 カトリック東京教区生涯養成委員会編 粕谷申一神父著)サンパウロ社 173-174頁から 「この間のことですが、この真生会館に私がいた頃の学生だった方がやってきました。 ┅┅ところが『神父さん。私は最近、あまり教会に行っていません。神さまがいなくても、┅┅結構幸せだ、と思うようになりました』と言うのです。食べる物に困らず、ゴルフあり、テニスあり、┅┅海外旅行がある。日曜日にミサなんかに行くと、そういうお仲間の誘いを断らなければならなくなる。ミサなんかに拘束されないで、家族と団らんをし、お仲間と今日はゴルフだ、とやっていることの中に幸せを見るようになったら、日曜日に教会に行くことなど無いほうが幸せなのではないか、と思うようになったと、と言うのですね。 その人にとって幸せとは何か。精神的、霊的な充足感というものはもう、ないのですね。┅┅そういう世俗主義ですね。それに我々は覆われている。┅┅世俗主義は、昔の迫害者(※ローマ帝国)のように怖い顔をしてやってこない。┅┅ところが、それに乗ると、いつの間にか、┅┅教会全体が「神さまがいなくて幸せだ」「いないほうが幸せだ」という世俗主義にやられてしまう。ですから、今の時代は、┅┅我々の源泉に神さまがあるのか、ないのかを問い直す必要がある。神さまとの出会いを私たちがどこで見出す、ということですね。そこに教会というものがあるのです」。 ヨハネ福音書の「受難物語」は、神のみ前では、この世のものは何の力もないことを現しています。それは「王であるイエスの姿」に世俗主義のはかなさを読み取ることでもあるのです。 4月11日 復活の主日・復活の聖なる徹夜祭(マタイ28章1-10節) マタイの「復活物語」の焦点は天使のメッセージに置かれています。 「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』。確かに、あなたがたに伝えました」(6-7節)。 天使は、墓が空(から)なのはイエスが死者のなかから復活したからだと説明します。そして、婦人たちに、急いで弟子たちのところに行って、イエスは復活したと告げるように、命じます。 この弟子たちといえば、イエスが逮捕されたときに見捨てて逃げてしまいました(26章56節)。ペトロはただ一人例外で、ためらいながら遠くからイエスのあとをついていきましたが(26章58節)、それでも三度イエスを否定し呪(のろ)いました(26章69-75節、とくに26章74節)。復活したイエスは婦人たちに言います。 「恐れることはない。行って、私の兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこで私に会うことになる」(10節)。 10節では、6-7節の天使のメッセージに一つ重要な付加が行われています。つまり、「弟子たち」という語が「兄弟たち」という語に置き換えられています。「兄弟たち」とは11人の弟子たち(28章16節)に言及したものです。すなわちこの置き換えが示すのは、イエスを見捨てた10人の弟子たち(26章56節)や彼を否認した者であるペトロ(26章69-75節)をもイエスは赦したもう、ということなのです。そんな弟子たちでもまだ神の計画から捨て去られておらず、婦人たちから復活の知らせを聞くことになります。 この婦人たちは(マタイは彼女たちを弟子とは呼んでいません)、ゴルゴタにはいましたが、イエスの死を遠くに見つめ(27章55節)、そしてイエスが葬られると墓に向かって座って見ているという受身の役割しか演じていません(27章61節)。ユダヤ人の法廷では、女性たちは法的資格のある証人とは見なされていません。それが今、女性たちが復活を最初に告げる人間(=証人)となり、弟子たちの信仰を再び燃え立たせる仲立ちとなるのです。 天使のメッセージに従って出かけた婦人たちにイエス自身が姿を現します。婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏します(9節)。弟子たちは復活したイエスの前にひれ伏して礼拝します(28章17節)。マタイ福音書では、異邦人の占星術の学者たち(2章2節、11節)、重い皮膚病をいやされた人(8章2節)や異邦人の百人隊長(8章5節)が弟子たちのようにイエスにひれ伏して礼拝します。 マタイの「復活物語」は、女性たちが最初の復活の証人として信仰共同体に大いに愛されたことを示しています。同様に、異邦人たちや罪人たちが栄光(栄光とは受難・死・復活によるあがないの業を指します)のキリストを礼拝する信仰共同体に大いに受け入れられていたことを示しているのです。 4月12日 復活の主日・日中のミサ(ヨハネ20章1-9節) 今日の福音では「見る」という語が4回使用されています。 「マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た」(1節)。 「(もう一人の弟子が)┅┅中を見る(のぞく)と、亜麻布が置いてあった」(5節)。 「(シモン・ペトロ)は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを観た」(6節)。 「もう一人の弟子も入って来て、みて、信じた」(8節)。 6節の「観る」や8節の「みる」と違って、1節と5節の「見る」は同じ言葉です。これらの「見る」は、単純に「目に入った」という意味です。 6節の「観る」は「観察者・見物人」を意味する名詞から派生した動詞ですから、「観察する」という意味です。イエスの愛する弟子とは異なり、ペトロは、墓の中へ入り、その光景をじっと観ています。 8節の「みた」は、1・5節の「見る」とも6節の「観る」とも異なる動詞です。今日の福音でこれらの三つの動詞が使い分けられているとすれば、「みる」は「心の目で洞察(どうさつ)する」ことを表します。さらに、ここでは愛する弟子は何を「みた」のか、その目的語が書かれていません。目的語がないということは、愛する弟子は墓の中の光景に目を向けたのではなく、そこに示されている出来事の意味を「みて」、イエスの復活を「信じた」ということを表しています。 愛する弟子が「出来事の意味をみて、イエスの復活を信じた」のであれば、「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書のことばを、二人はまだ理解していなかった」(9節)という説明は、8節と矛盾するように見えます。 「イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉を信じた」(2章22節)。 「弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がそのとおりにイエスにしたということを思い出した」(12章16節)。 弟子たちがイエスの復活を預言する聖書のことばをはっきり悟るようになったのは、イエスの復活後のことでした。まず弟子たちの前に復活したイエスが現れ、彼らは直接イエスを見て復活を信じました(20章19節以下)。それから、彼らは「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書のことばを」(9節)正しく理解したのです。 それは、復活のキリストが私たちの心を聖書のことばを理解するよう開いてくれる時、もはや信じるために復活したキリストを直接見る必要はなくなるということを意味しています。私たちには聖書のことばがあります。私たちが、イエスが誰であるかを知るためには、聖書のことばを正しく理解するだけで十分なのです。 ‘20.4.9-12非公開_聖週間の福音 説教原稿